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​会社概要

株式会社生駒 代表取締役 篠崎篤史様  インタビュー

大阪 セミナー

「“創立50年はあくまでも通過点で100年企業を目指す”」

50年やってこられたのはみんなが働いていける職場にしたからであって、

だったら次に入ってくる人達にとっても働きやすい職場を一緒に作っていきたい

社長に就任されるまでのご経歴をお話頂けますか?

大学卒業をして薬品会社に入ったんですが、でもすぐ辞めてしまいまして。それで “公務員目指す”とか“資格取るために勉強する”なんて言いながら、フリーターみたいな事をしていたんですが、30歳手前ぐらいの時に今の奥さんと知り合ったのをきっかけに専門商社で営業マンとして働き始めました。その辺りで結婚しました。奥さんのお父さんがこの株式会社生駒を経営していたんですよ。一人娘で跡取りもいないからM&Aをするつもりだったそうなんですが、結婚を機にお父さんの方から“会社を継がないか?”と誘われたんです。

サラリーマンがいきなり経営者って無理だろうと断っていたんですが、何回か誘われたある日“今の会社で幾ら貰ってるんだ?”と聞かれて、「だいたい22〜23万ですかね」と答えると、“あんなに働いてたったそれだけか、うちに来たらもっと出せるぞ”と言われたんです。それとお父さんである先代が“やっぱり中小企業の跡継ぎは身内の方が一番良いぞ”とずっと言っていたんです。他人さんに任せたら色々問題もあるし、M&Aも一つの手法だけど経営者が変わって社員はどうなるんだって考えるとやっぱり身内が継いだほうがいいと。

僕もそう思うし、こんなチャンスは二度とないだろうし、結局(俺が社長か)っていうスケベ心半分と(何とかしなきゃ)っていう使命感半分みたいな感じでやりますっていう話になりました。奥さんは反対していました。親の姿をずっと見ていたので、いつも仕事ばかりで幼い頃どこにも連れていって貰えなかった思い出があって、そんな思いを自分の子供にはさせたくないと思ったそうです。それを僕がやらせてくれと頼み込んで押し切ったような感じでした。

社長就任の経緯・きっかけをお話頂けますか?

入社したのが2003年の春で、すぐに“5年後には代わるぞ”と言われました。

先代も当時65〜66歳だったので、もうしんどいとは言っていたんですが、僕は最初冗談だと思っていました。でも、5年経ったら本当に“代わるぞ”って事になって。ずっと営業ばっかりやっていたので、準備も何もしてないですから、名前だけ社長に変わった様な状態でした。

ある日、お客さんにガツンと殴られるような言葉をあびせられたんです。

結構大きい案件をお客さんから相談を受けたときに、“僕はちょっと決められないんで、帰って会長に確認します”って返答しましたら“社長なのに何も決められないのか!即決しろよ!できないなら社長なんか辞めてしまえ!”とお客さんから言われたんです。確かに何をするにも会長に確認してからでしたし、その当時は僕が取締役社長で先代が代表取締役会長で僕に代表権はなかったんです。それで僕は会長に“もう社長をおろして下さい、だって何の権限も全くないじゃないですか”ってかなり問いつめるように話をしたんです。

翌年、しぶしぶですが代表権を譲って貰ったんですが、これは後から気づいたんですけど、代表権を渡さなかったことは会長の優しさだったんですね。あの当時まだ借金は個人保証でしたから、全部自分が作った借金なのに、それを息子に引き継ぐ事ができなかったんだなとそういう思いに気づかずにいて、今思えば涙が出るんです。

自分のことしか考えてなくて、権限には責任が付いて回るのに、本当に失礼で馬鹿な事を言ったと思います。

僕が社長になった年が2008年で、その年の9月にリーマンショックです。

最初は問題なかったんですが、半年後から一気に落ち込みました。今思えば、そんな状況で翌年社長らしいことを何もしていない自分が代表を代わるなんて、お金の管理だって結局全部会長に任せて、僕は今まで通り営業活動をやっていただけで決算書も読めないし、銀行との折衝も出来ない、小切手すらどうやって切るのか分からない人間が代表をやらせてくれなんて、本当に無謀なこと言っていたと思います。

 

先代は2012年に亡くなりました。

 

その半年ぐらい前に入院してだんだん弱っていきますし、でも会社を継ぐ何の準備もしてない。いよいよ会長もしゃべられなくなって、僕が銀行と直接話すようになっても、結局何も怖くて決められないから全部先延ばしばかり。

亡くなってから、もっといろんなことを聞いておけば良かったと後悔しました。

僅か100万の決済でも“もし会社が潰れてしまったらどうしよう”と怖くて何もできない状態が半年ぐらい続きました。その時に“決算書ぐらい読めるようになろうよ、勉強しようよ”って言って下さった方がいて、そこから勉強して読めるようになり、会社の決算書を見たら、メチャクチャ良い決算書だって分かったんです。なんだ超優良会社じゃないかと。先代がずっと積み重ねてきた結果です。結局何も分からないから怖かっただけで、分かってしまえば怖くなくなりました。

それからは自分がやりたいことをやろうと考えられるようになりました。

今までちょっとおかしいなと思う事が色々あって、それを変えていこうと思いました。

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就任後、今までで一番ご苦労された事はなんですか?

会長が亡くなった時が一番しんどかったですね。どうしようかと思いました。でもやっぱり社長だから弱いところを見せられないっていうので虚勢を張っていました。自分がなんでもやらないといけないっていうのはずっとありました。社長は現場も出来て営業も出来て財務も出来て、なんでも全部出来て当たり前だとずっと思っていたんです。でもそうじゃない、社員がいるじゃないか。そう思って社員の成長の邪魔をしているのは自分じゃないのかと思ったんです。なんでもかんでも自分でやるんじゃなくて任せていこう。後ろで見守るような形にして自分が全部やる必要はない、社員の成長を考えて任せようって事に気づいてからちょっと楽になりました。

それがここ3〜4年ぐらいの事です。

新卒の若い子が入って来て会社が変わっていくなと感じるようになってからですね。それまでほんとにもう職人の仕事なので、結構年齢の高い人が多くて若い子は入っては辞め入っては辞めの繰り返しだったんですが、先代がまだいた頃にその当時20歳か21歳ぐらいの若い子が中途採用で入ってきてくれまして、その子がすごく素直な良い子でおっちゃん連中もすごく気に入っていましたし続いてくれたんです。

その子が続いたら次に入った子もまた続いて、若い同年代なんでさらにまた続いて、それでだんだん若い世代に変わっていきました。離職率も下がりました。

先代が亡くなった頃から新卒を採用し始めたんですが、最初新卒採用は躊躇しました。“こんなメッキ屋さんにわざわざ来る人なんかいないだろう”って思っていたんですけど、よく考えたら“こんな会社って今働いている人に失礼じゃないか”って気付いたんです。みんないろいろ試行錯誤しながら会社で働いてくれているじゃないか、躊躇する必要はないと思い動いてみたら、その応募した初年度でいきなり入ってきてくれました。

高卒の18~19歳の子が入って定年までとなったら、彼らが60~65歳になるまであと40〜45年間会社を残さないといけない訳です。

“会社たたみます”なんてもう言えない、だったら会社を残す為に改革しないといけないだろうと思ったんです。

そう思うと、いろんな課題が見えてきて、その意味でも新卒を採用して良かったなと思っています。

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今まで会社を経営されてきて一番うれしかった事は何ですか?

社員が結婚しまして家を買ったって言うんです。なら凄く頑張るだろうな、ここで頑張ろうって思ってくれているのかなっていう経営者の勝手な思い込みかもしれないですけど、会社続けようと思ってくれているのかな、この会社だったらローン組めるかな、みたいな感じでもいいんです。

そういうのがなかったらなかなか家も買おうと思わないですから。そういうのは凄く嬉しいです。

今後社長が目指す会社とは?

去年創立50周年だったんです。コロナ下でパーティは出来なかったんですが、“創立50年はあくまでも通過点で100年企業を目指す”と社員には話しました。

勘違いしてはいけないのは、今の自分達があるのは諸先輩方がいらっしゃったからで、たまたま僕らは50年という節目に働いているだけだ、それを100年企業にするために今頑張って次の世代に繋げないといけないんだと話したんです。

それをしようと思ったら、色んな課題が見えてきます。

変えなきゃいけない事もあるし変えなくていい事もあるし、そういうのをみんなで考えてやっていこうよということを話したんですが、中にはそんな先のことまで分からないという人もいます。しかし、50年やってこられたのはみんなが働いていける職場にしたからであって、だったら次に入ってくる人達にとっても働きやすい職場を一緒に作っていこうよ、厳しいだけじゃあ駄目だし、汚い職場でも駄目だし、そういうのをみんなで作っていこうよと。

僕も50年後にはいないでしょうし、次に継ぐ人に対してきっちりとバトンタッチをして行きたいなと思っています。そのためにやっぱり今やらなきゃならないことがありますから。僕も覚悟があって入った訳じゃありません。当然覚悟を持ってやっていますがじゃあどれだけの覚悟なんだっていうと、凄い方もいらっしゃるでしょうが上辺だけの覚悟の方もいると思うんです。経験上覚悟はやっているうちにだんだん醸成されていくものだと思っています。

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僕らは50年という節目に働いているだけだ、

それを100年企業にするために今頑張って次の世代に繋げないといけないんだ!

​株式会社生駒

​会社概要

商号:株式会社生駒

http://www.ikoma-cr.co.jp/

​●住所:〒574-0052 大阪府大東市新田北町2番7号

​●代表取締役:篠原篤史

​●TEL:072-871-6526

FAX:072-874-9131

​●従業員数:24名

設立:昭和46年7月1日

資本金:1,000万円

事業内容:硬質クロームメッキ、テフィックス加工

取引銀行:大阪市信用金庫大東北支店、池田泉州銀行住道支店

得意分野:T型ダイス、丸ダイス、押出機・射出成型機用スクリュー、ロール・シャフト・ピストンロッド、各種機械部品、複雑な形状の製品のメッキ、テフィックス加工

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